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失意のホッケー女子日本代表救った韓国人

2014年09月20日 14:37

先月20日、広島県では集中豪雨により土砂災害が相次いで発生、合計70人以上が死亡するという惨事があった。住宅街の裏山が崩れて土砂が襲い、家は跡形もなくつぶれた。「さくらジャパン」の愛称で呼ばれているホッケー女子日本代表(하키 일본여자 대표팀)の主力選手7人が広島(히로시마)を本拠地とする実業団チーム「コカ・コーラウエスト(코카콜라 웨스트)レッドスパークス」所属だった。選手たちは電話機を握り、家族や親戚の安否を確認しようと落ち着かない様子だった。練習のほとんどを広島で共にしてきた別の出身地の代表選手たちは、広島出身の選手たちを慰めた。幸いなことに選手の家族に犠牲者はいなかったが、故郷も同然の広島で起こった災害に、どの選手も涙した。そのとき、選手たちのそばに寄り添い、勇気をくれたのはコカ・コーラウエスト(코카콜라 웨스트)レッドスパークスと女子日本代表を率いる韓国人の柳承辰(ユ・スンジン:유승진)監督だった。柳監督は「広島の被災者のためにも、私たちはもっと一生懸命闘わなければならない」と言って選手一人一人を励ました。高校のときに初めて韓国代表に選ばれ、1986年のソウル・アジア大会と94年の広島アジア大会の韓国代表チーム優勝メンバーでもあった柳監督にとって、日本は「第二の故郷」といえる。91年に名古屋の実業団チームに入団、96年から男子日本代表コーチ、2006年から女子日本代表ヘッドコーチ、08年からコカ・コーラウエスト(코카콜라 웨스트)レッドスパークス監督などを務めた。20年以上も名古屋や広島で暮らし、指導者としてのキャリアのほとんどを日本で積んできたのだ。そして12年10月からは女子日本代表監督を務めている。日本代表チームは先月22日、福井県で行われた強豪オーストラリア代表との親善試合第1戦で1-0と勝利したのに続き、29・30日に広島で行われた第2戦でも3-1でオーストラリアを下した。日本のホッケーファンはインターネット上で「さくらジャパンがさらに精神的に強くなって帰ってきた」と期待をかけている。選手たちは土砂災害の被害を受けた広島の練習場所で今月11日まで合宿を続けた。日本代表チーム(일본 대표팀)は世界ランキング10位で、ランキング上の戦力で見ると、今回の仁川アジア大会出場8カ国のうち中国(5位)や韓国(9位)に後れを取っている。それでも、選手たちの目標は優勝だ。選手たちは韓国入りする前、土砂災害の被災者のために黙とうし、アジア大会に向けて決意を固めた。土砂災害で家や家族を失った広島の人々に必ず金メダルをプレゼントしたいという気持ちからだ。また、選手たちは大会終了後、広島に戻って被災者のためのボランティアをすると誓った。柳監督は「祖国・韓国で開かれる今回の大会で、日本の選手たちの素晴らしい実力をお見せしたい。選手たちは今回の広島土砂災害を胸に刻み、さらに一生懸命闘ってくれるだろう」と語った。

朴大統領、森元首相に接見

2014年09月19日 18:25

朴槿惠(パク・クネ:박근혜)大統領は青瓦台(チョンワデ:청와대、大統領府)で森喜朗(모리 요시로)元首相と接見し、安倍晋三首相(아베 신조 총리)からの親書(친서)を受け取った。韓国メディアによると、朴大統領は19日午後、青瓦台で2020年東京オリンピック(도쿄 하계올림픽:五輪)組織委員長として訪韓した森喜朗(모리 요시로)元首相に接見した。 朴大統領は森元首相と接見した席で「森委員長が過去に首相を歴任し韓日議員連盟会長なども引き受け、韓日関係の発展と交流のために努められ、政界引退後も多くの役割を担っておられることを存じている」としながら「今回は東京オリンピック組織委員長として仁川(インチョン:인천)アジア競技大会開幕式参加(아시안게임 개막식 참석)の訪韓されたことを歓迎する」と述べた。さらに、朴大統領は「2018年には平昌(ピョンチャン:평창)冬季オリンピック(동계올림픽)開催、2020年には東京オリンピック(도쿄 하계올림픽)が開かれる」としながら「このように続けてアジアでオリンピックが開かれるため、互いにシナジー効果(시너지 효과)を出し大会開催が成功することを期待する」と述べたと、韓国メディアは報道した。この日手渡された親書は、その内容によっては今後の韓日首脳会談の可能性など両国関係の変化に関わるため注目されている。

猫ひろしさんが韓国入り カンボジア代表として

2014年09月18日 23:51

カンボジア国籍(캄보디아 국적)を取得しマラソンに挑戦しているお笑い芸人(코미디언)の猫ひろしさん(37)が、カンボジア代表(캄보디아 대표)として臨む仁川アジア大会(인천 아시안게임)男子マラソン(남자 마라톤)(10月3日)に向け闘志を高めている。このほど韓国に到着した猫さんは18日、自身のブログへの書き込みで、「アジア大会に向けての合宿で今までで一番ハードな練習してきた。あと少しで本番。本番までは焦らずきちんと練習しよう。スタートラインについてただ、ゴール目指して走るだけだ」と意気込んだ。2005年に日本の選手たちとタレントらが共にマラソン大会に参加するテレビ番組に出演したことから猫さんの人生は大きく変わった。12年ロンドン五輪(2012 런던 올림픽9に出場する夢をかなえるために、11年にカンボジア国籍(캄보디아 국적)を取得。一度はロンドン五輪代表に決まったが、国際陸連(국제육상경기연맹)が参加資格を満たしていないと判断したため出場はかなわなかった。今度は、欠格事由のないカンボジアの代表として約20人の同国ミニ選手団の一員として初めて韓国の地を踏んだ。昨年、東南アジア大会にカンボジア代表캄보디아 대표)として出場したのに続き、仁川アジア大会でもカンボジアの国旗(캄보디아 국기)を胸につけて走る。8月17日にカンボジアで開かれた国際大会に参加した猫さんの記録は2時間45分28秒。メダルに手が届くにようには見えない。選手村の至る所で一緒に写真を撮ってと要請されるなど、まだ選手というより芸能人のようだ。

イ・ビョンホン妻、恐喝モデルとの関係知っていたのでは・・・

2014年09月17日 16:18

俳優イ・ビョンホン(이병헌)とモデルのイ・ジヨン(이지연)が交際していたといううわさが流れている中、妻で女優のイ・ミンジョン(이민정)の書き込みが注目を集めている。イ・ミンジョン(이민정)は8月半ば、写真共有ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)「インスタグラム」の自身のアカウントに「God only knows(神のみぞ知る)」という書き込みと、空を撮った写真を掲載した。これを受けて「イ・ミンジョン(이민정)が夫イ・ビョンホン(이병헌)をめぐる芳しくない話について、遠回しに心境を語ったものでは」という声も聞かれる。モデルのイ・ジヨン(이지연)とアイドルグループGLAM(글램)のダヒ(다희)は今月1日未明、イ・ビョンホン(이병헌)に対し「いかがわしい動画を公開する(음담패설 동영상을 공개하겠다)」と脅迫し、50億ウォン(50억원)(約5億円)を要求した疑いで逮捕された。その後も恐喝未遂容疑(공갈미수 혐의)で身柄を拘束されている。

事故死の在日アイドルを苦しめたネット社会

2014年09月16日 18:49

今月7日、ガールズグループLADIES’ CODE(레이디스코드)のメンバー、クォン・リセ(권리세)さんが23歳の若さでこの世を去った。3日午前、高速道路で交通事故に遭い、病院に搬送されて4日後のことだった。LADIES’ CODE(레이디스코드)は昨年3月にデビューし、ミニアルバム2枚とデジタルシングル2枚をリリースしたが、歌謡界でブームを巻き起こしたグループではなかった。そんな中で世間にその名が知れ渡ったメンバーがクォン・リセ(권리세)さんだった。リセ(리세)さんは2010年、MBCテレビのオーディション番組『偉大なる誕生』に出演した。在日韓国人4世のリセさんは2009年、ミスコリア日本で「真」(グランプリ)を受賞したことが知られ、注目を集めた。オーディション番組で破竹の快進撃を見せるや「実力よりも外見で選んでいる」「歌手のオーディションなのか、ミスコンテストなのか」などと批判する声が殺到した。だが、さまざまな罵詈雑言にもかかわらず、リセ(리세)さんは同番組で12位にまで上り詰めた。故人となった今、その死を悼むコメントが相次いでいるが、生前のリセさんはインターネット上の悪質なコメントに苦しめられていた。福島県で生まれ育ったリセ(리세)さんを「日本女」と呼ぶのは序の口だった。リセさんに関するニュース記事のコメント欄には、とても口にできないような悪口があふれていた。悪質なコメントは、アイドルやガールズグループにとって避けて通れない宿命だ。出所の分からないうわさ話はどうすることもできない。リセ(리세)さんは日本で、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)系の朝鮮学校に通った。リセ(리세)さんの話す韓国語に北朝鮮なまりが見られるのはそのためだが、これが原因でリセ(리세)さんには「アカ(共産主義者)」という悪口が浴びせられた。リセ(리세)さんは「家の周りで韓国語を学べる場所は朝鮮学校しかなかったため、ちょっとの間通っただけで、北朝鮮とは全く関連はない」と釈明した。小学校時代に民族舞踊を習ったリセ(리세)さんは、北朝鮮の故・金正日(キム・ジョンイル)総書記の誕生日パーティーに招かれ、舞台に立ったこともある。このような事実をもって「リセさんの容貌が北朝鮮応援団に似ている」と発言する人もいた。リセ(리세)さんが16歳のときに他界した父親は、リセ(리세)さんが中学校に入学したとき、朝鮮総連から在日本大韓民国民団(民団)に移った。リセ(리세)さんは生前、つたない韓国語でこう言ったことがある。「幼いころから歌ったり踊ったりするのが好きだった。歌手になるならば、韓国でデビューしたかった。これといった理由はないが、いつも韓国に憧れていた。日本に進出するとしても韓国人として、韓国を知ってもらうために貢献したい」心ないコメントはリセ(리세)さんの死後にも寄せられた。「LADIES’ CODE(레이디스코드)ではなく、LADY DEATH CODEだ」「死ぬ1週間前にサインをもらったが、値段はどのぐらいになるか」といったものだ。リセ(리세)さんは亡くなる1年前の昨年9月6日、国会で行われた「アンチコミュニティーに打ち勝つ善プル(ネット上の善良なコメント)コミュニティー」キャンペーン発足式に出席した。ネット上にはびこるアンチコミュニティーサイトや悪質なコメントの代わりに、互いにやさしい言葉を掛け合うコミュニティーサイトを増やしていこうというキャンペーンだった。このとき、リセ(리세)さんは国会の政論館で、自分に対する悪質なコメントを読み上げた。9日に告別式を終えたリセ(리세)さんは、この世に永遠の別れを告げた。事故原因を究明するため、事故を起こした車は国立科学捜査研究院に送られた。しかし、悪質なコメントは今も、ネット上のあちこちに、ごみのようにあふれている。

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