38度線はポツダムで用意された

2013年08月18日 22:07

19457月のポツダム会談当時、韓半島の分割ラインを構想したといわれる故ジョン・ハル米国陸軍参謀本部作戦部長の証言が、初めて公開された。それによると「われわれはソウルのすぐ北に線を引くべきだと考えた。ゆえに38度線はポツダムで用意された。」韓半島を38度線で分割する案は日本の降伏4日前に急きょその場で決まったと考えられていたが、それよりずっと前にソ連軍の韓半島進駐を予想して慎重に分割案を決めた可能性を示唆しており、注目されている。李完範(イ・ワンボム:이완범)韓国学中央研究院教授は、13日に出版した研究書『韓半島分割の歴史』で、米国の国立公文書館で最近発見した資料を掲載した。この資料は、ハル中将が49617日に米軍のハリス大佐から受けた電話インタビューを記録したものだ。ハル中将は、ポツダム会談当時を回顧するインタビューで「ジェームズ・バーンズ国務長官は、米国がソ連と共に韓国を分割することを望んだ。バーンズ国務長官は、米国が韓国に上陸すべきだと主張した」「味方の戦略家は、三つの主要な港に注目し、このうち2港(仁川・釜山)をわが方に含めなければならず、ソウルのすぐ北に線を引くべきだと考えた。このため38度線に沿ってラインを引くのが最良の位置だと判断した」と証言した。これまで38度線の確定は、ソ連の対日宣戦布告から3日後の811日早朝、米国SWNCC(国務・陸軍・海軍調整委員会)の戦略政策部門で急きょ決められたというのが定説だった。ソ連軍の南進を食い止めるため、わずか30分で『ナショナル・ジオグラフィック』誌の地図の上に米ソ軍事境界線を引いた、とされてきた。しかし李完範教授は、「ハル中将の証言記録などを見ると、少なくとも半月ほど早い725日ごろには、ポツダムでハル中将によって38度線が確定されたと見るべき」と語った。米国はすでに、ソ連軍の参戦と勢力拡大を予想していたというわけだ。実際、725日以降に米ソが作成したあらゆる計画案や地図には、38度線での韓半島分割が既定の事実であるかのように登場する。811日の「38度線確定」は、ハル中将がポツダムで描いた「38度線」の直接的継承だったというわけだ。李教授は「38度線での分割は、米国の細かい事前準備の上でなされた」と主張した。米国はソ連が参戦するずっと前から「将来の北東アジア地域におけるソ連の影響力けん制」を構想し、これが457月末にポツダムで「38度線」として具体化されただけだという。