高句麗・渤海は中国の歴史?

2013年03月11日 19:45

現在の北朝鮮から中国東北部の古代史が中国の歴史なのか韓国の歴史なのかで熱い火花を発している。これは将来、北朝鮮崩壊に伴い領有権をめぐる争いに発展するかも知れない。結果によっては将来的に日本にも大きな影響を及ぼす可能性がある。問題は3点、高句麗(紀元前37~668年)、渤海(698~926年)、万里の長城である。特に高句麗と渤海は、中国が進める「東北工程」において中国の「地方政権」だと宣言され、韓国が猛反発している。中国が将来、朝鮮半島の北側の領有権を主張するため、南北統一を模索する韓国において認められるものではない。韓国の立場において、高句麗は7世紀後半まで朝鮮半島の北半分と満洲を支配し、最後の首都を平壌に置いた朝鮮民族の古代王朝であり、渤海とはその末裔が建国したと主張する。確かに渤海は唐と朝貢関係にあったが、皇帝国家を目指したことので、「独立国家」であったといえる。しかし、韓国人が渤海を韓国の歴史としたのは李氏朝鮮(1392~1910年)末期からである。まだ日が浅いのである。 日本では今も渤海建国者の大祚栄がツングース系の韃靼族だとしているが、渤海では中国には見られないオンドルが使用されたり、墓も高句麗式であるので、これを証拠に渤海が高句麗の末裔だとしている。 もう一つ、中国「東北工程」は万里の長城の長さを今までの2倍を超えて2万km及ぶと発表した。高句麗や高麗が建設した千里長城(遼寧省大連付近~内蒙古)も万里の長城に含まれているというのである。もちろん、高句麗や高麗が中国系の王朝ならばそういうことになるのだが・・・?