海からの日本の近代化

2014年12月14日 21:51

1853年、軍艦で押し寄せた米国によって日本の開港は実現した。その直後の1855年から59年にかけて長崎で起こったことに注目する人は、それほど多くない。2度にわたるオランダ海軍教官団の派遣により、西欧の海軍システムが日本へ実質的に伝えられたのだ。これで幕府や各藩は、海軍の制度や教育内容、造船施設に関する新たな情報を手に入れることができた。その後、明治維新直前まで、日本では「海軍革命(해군혁명)」が加速した。韓国国防大学安保大学院の教授を務めるパクヨンジュン(박영준)氏によると、その結果は非常に大きいものだった。「海軍(해군)」は、最先端の近代性を象徴する存在で、発達した科学技術および近代国家制度と不可分の関係にあった。海軍の要員は、当時最高レベルのテクノクラート(高度な科学技術の専門知識と製作能力を持ち国の政策決定に関与できる上級職の技官)でもあった。「海軍革命(해군혁명)」以後、日本は東アジアの制海権を確保、中国・ロシアとの貿易を主導し、朝鮮への使節派遣のための海軍力動員を構想できるようになった。そして日本が近代国家に変わってそれまでの東アジアのパワーバランスが崩れたことが、伝統的な国家関係が「近代的国際秩序(근대적 국제질서)」へ転換する契機になったわけだ。