日韓関係の改善には

2013年08月24日 21:24

日韓問題が非常に難しい局面にあることは周知の事実である。福田元首相が訪韓したが、その目的を達成することができない状態だ。政治が難しい時には経済優先と考える見方もあるが、経済では政治の問題を解決できない。文化交流やスポーツ交流はどうだろうか? それらは政治にはノータッチである。そこで両国、特に韓国の宗教者にお願いしたいのである。韓国では国民の約30%がキリスト教の信仰を有している。最大の宗教である。キリスト教徒数が人口の1%にも満たない日本とは対照的だ。韓国では政治・経済の指導層にキリスト信者たちが多い。キリスト教の教えの核は「敵を許し、愛する」ことだといえる。慰安婦像の建立問題、竹島問題、終戦記念日と靖国神社の参拝問題など、日韓の間には一触即発の難題が山積している。しかし、韓国側は攻勢をかけ、日本を糾弾することに腐心している。それに対し、日本の多くの国民は「韓国人の執念」に戸惑いを感じている。どちらの主張が正しいかと言うつもりはない。そのような試みは日韓の両側でこれまで何度もやってきたことであり、それでは対立は解決できないことは明確だからだ。振り返れば、イエスの教えを信奉する韓国キリスト教会は日韓問題で過去、どのような発言をしてきただろうか。韓国キリスト教会指導者は日韓の「正しい歴史認識」問題では普通の韓国国民と同じように、日本を批判してきた。韓国キリスト教会指導者から、「われわれは悲しい体験をしたが、日本側を批判するのではなく、許し、愛して一体化すべきだ」と諭した指導者は少なく、むしろ先頭を切って日本の過去を糾弾してきた。ここまで書いてくると、韓国キリスト教会指導者たちは、寺院で反米、反西欧社会を扇動するイスラム教法学者の姿と重なって感じる。愛と許しを実践したイエスを仰ぐキリスト教会指導者が日韓問題ではイエスの教えとは異なる歩みをしてきた。加害者である日本人が言うべきことではないかも知れないが、韓国キリスト教会指導者はイエスの道に倣い、許すことができない相手を許してこそイエスの証人となれるのではないか。イエスは「自分を愛する人を愛してもなんの報いがあろうか」と述べ、愛せない人を愛することの大切さを強調している。韓国のキリスト教会聖職者たちが「わが民族には恨みがあるが、それを乗り越え、日本を愛していこう」と率先して国民に語り掛けていたら、政治的思惑から反日発言を繰り返す政治家が出てきても、日韓両国は今日のように悲しい関係とはならなかっただろうと思う。韓国キリスト教会指導者に日韓関係改善の先頭に立って頂けるようにお願いしたい。