教育部が求める韓国史教科書の修正・補完部分
韓国教育部が今月21日に発表した「高校韓国史教科書修正・補完事項」は、近現代史だけでなく、古代史・中世史分野でも広い範囲にわたって、学界の新たな研究成果を少なからず反映させている。この中には、一般の韓国人が持つ漠然とした歴史的常識とは異なる部分も多い。来年から使われる8種類の教科書のうち、教学社・金星出版社・天才教育社の教科書では、古朝鮮の建国年代を「紀元前2333年」だとする記録を紹介し、その根拠を『三国遺事』に求めている。しかし教育部は「紀元前2333年というのは、『三国遺事』ではなく『東国通鑑』に出てくるものであって、修正すべき」と指摘した。『東国通鑑』は1485(成宗16)年に著された編年体の歴史書で、中国の堯が即位した甲辰年より後の戌辰年に檀君が即位したと記している。北宋の司馬光が著した『資治通鑑』では、堯の即位年を紀元前2357年とみていることから、「戌辰年」は紀元前2333年になるという計算結果が出てきたのだ。また、これまでほとんどの教科書では、古朝鮮滅亡後の状況について、北から順に夫余・高句麗・沃沮・東濊・三韓を記した地図を載せていた。新羅・百済・高句麗の3国のうち、高句麗がまず成立し、当時まだ百済と新羅は国として存在していなかったと認識できる地図だ。というのも、これまで学界では、西暦1-3世紀ごろ既に3国が全て建国されていたとする『三国史記』の初期の記録を信用していなかった。しかし教育部は今回の修正・補完事項で「高句麗の登場は、その登場時期が百済・新羅と近接しており、新羅・百済の登場を表示することについて検討が必要」と指摘した。これは、最近の考古学的成果を大きく反映させた結果だと解釈されている。判断を留保しつつ「確認後に修正が必要」と指摘した部分もある。広開土王(高句麗第19代王)の死亡年については西暦412年の広開土王碑説と西暦413年の『三国史記』説がある。耽羅国(済州島)について、高麗時代以前は独立国だったという説と百済・新羅に服属していたという説がある。このような部分が、8種類の教科書でそれぞれ異なる形で記述されているという。