抗日運動家・尹奉吉を称賛した漢詩公開
北陸とも関係が深い梅軒(매헌)・尹奉吉(윤봉길:ユン・ボンギル)(1908~32)の抗日運動を称賛した匿名の中国人が1930年代に書いた漢詩が4月25日に公開された。また、尹奉吉を褒めたたえた蒋介石・元台湾総統が70年代初めに尹奉吉の遺族に贈った2点の漢字揮毫のうち、これまで一般公開されていなかった1点も一緒に公開された。このほか尹奉吉の直筆の手紙の封筒3点も今回公開され、彼の抗日活動研究に役立つと見られている。 最も目を引くのは4行26字からなる「国旗の下の尹奉吉義士(国旗下之尹奉吉義士)」という題名の一詩。1931年、当時、韓人愛国団を導いていた金九(김구:キム・グ)を訪ねて行って韓人愛国団に加入した尹奉吉が翌1932年4月29日、上海の虹口公園で弁当箱などに偽装した爆弾を投げて当時の上海派遣軍大将の白川義則隊長らを殺害した歴史的事実を背景にしている。 当時中国の指導者であった蒋介石が尹奉吉の爆弾投てきのニュースを伝え聞いて「中国の100万の大軍もできないことを、朝鮮の1人の青年がしたというから本当にすごい」と敬服したというエピソードが有名だ。 この漢詩を監修したソウル大学中国文学科のホ・ソンド(허성도)教授は「尹奉吉の義挙を契機に蒋介石が金九主席の面談に応じて臨時政府の活動を積極支援することになった」と付け加えた。実際に尹奉吉の行動以前の31年7月2日に、吉林省長春で日帝の術策により朝鮮人と中国人農民が流血衝突した万宝山(만보산マンボサン)事件によって中国人の朝鮮人に対する感情が悪化し、さらに「朝鮮人は日本の手先」と考える人も少なくなかった。しかし尹奉吉の行動をきっかけに中国指導者だけでなく一般中国人の朝鮮に対する感情が改善され、朝鮮と中国が抗日連合戦線を形成する契機になったと歴史家たちは見ている。 今回公開された漢詩の背景になっている写真は、尹奉吉が上海で最後に撮影した3枚の写真のうちの1枚だ。当時、尹奉吉は太極旗を背景に1人での写真を1枚撮り、胸に宣誓文をつけて拳銃と爆弾を持つ単独写真を撮った。また金九・臨時政府主席とも別に1枚撮った。 現在、金沢市の野田山に尹奉吉の暗葬之跡及び殉国紀念碑がある。