天池会の第2回歴史探索

2013年07月20日 18:51

 

今回は小松市の小松市埋蔵文化財センターと河田山古墳群の探索を行う。4世紀頃から南加賀地域で能美平野と江沼盆地に有力者がいたが、6世紀にはいると突如その間の三湖台に新しい古墳群が形成された。須恵器という韓半島系の技術による陶器生産や埴輪からみると、この新しい古墳群の主人は韓半島系有力者と言うことになる。時同じくして、越前からの継体天皇が即位し(507年)、半島系の天皇の系譜へと転換した。この継体天皇の祖母が江沼の女性だったと伝えられている。出土人物埴輪には頭部が波状の冠の付いたものもあり、高句麗壁画に見られる被り物に酷似している。埴輪の制作技法にも特徴があり、「倒立技法」と呼ばれて、尾張地域(継体天皇の勢力下)や韓半島で発見された埴輪にも見られるものである。また柴山潟を望む台地の額見町遺跡からは暖房機能付きカマドが発見され、韓半島のオンドルそのものである。河田山古墳群資料館では住宅開発の際発掘調査された62基の古墳のうち、館内に保存されたものや近くに移築復元された12号基は横穴式石室に天井部がアーチ形になっていて、国内には例を見ない韓半島の王墓に酷似する古墳である。小松は「高麗津(こまつ)」とも言われるが、韓半島と縁が深い場所であると実感した。