大伴家持と渤海
2013年02月15日 18:28
古代、中国の東北地方、ロシアの沿海洲、韓半島の北部を支配し、大祚栄(デ・ジョヨン)により建国された渤海国(698年 - 926年)があった。日本には、727年に始まり、919年まで、わかるだけでも33回、数え方によっては34回、使者を送っている。万葉歌人、大伴家持が越中守として赴任した時(746年~751年)には、既に渤海と日本の交流が始まっていた。越前国に到着して長期間滞在したり、能登の福良津(福浦港)に到着して、加賀郡の港に入ったこともあった。日本海側のどこかに到着しもすぐに都に入らず、季節毎の衣服や食糧を与えられて、普通、正月に都に入っていく。天皇から官位を授かったり、各種の宴会や接待を受けたりして、夏の風、日本から大陸に風が吹く頃になると、能登半島から帰国した。来日時は、冬の風、大陸から日本に吹く風を利用してやって来た。冬風と夏風をうまく利用しての航海だった。家持のいた越中国府に情報は常に入っていたのである。時には渤海の使者をわざわざ越中国府(?)に招いて、若い学生たちに渤海語を教えている。当時、越中は外国交易の最前線であった。