今日は太極旗が国旗になった日

2013年03月06日 10:22

1883年旧暦1月27日(3月6日)、は太極旗が正式に国旗として使われるようになった日である。李氏朝鮮の国旗制定が問題となったのは、1880年、日本から帰国した金弘集らが『朝鮮策略』を持ち帰ってからであるが、この中に朝鮮の国旗の図案についての言及があった。具体的な国旗の図案についての議論されたのは、1882年旧暦4月 、米朝修好通商条約締結を斡旋するために訪韓した清の馬建忠と金弘集の会談がある。馬建忠は条約締結には国旗が必要であるとし、馬建忠は地を白で中央に半紅半黒の太極文様を描き、その周りに朝鮮八道を象徴する八卦を配した古太極図の図案を示し、金弘集はこれを了承した。2ヶ月後、壬午事変が起こり、日本との間に済物浦条約が結ばれた。済物浦条約の規定に従い謝罪の使節として朴泳孝らが派遣された。朴泳孝らは船内でイギリス領事アストンとイギリス人船長ジェームスに八卦と太極文様を描いた古太極図を見せて国旗について相談したところ、船長が八卦は複雑で分かりにくく、他国がこれを作るのに不便だと言ったため、四卦を削り、残りの四卦を45°傾けて四隅に配した図案が示され、大・中・小3本の太極旗が作られた。神戸に到着した一行は宿泊した西村屋にはじめて太極旗を掲げ、国旗制定を本国に報告したのである。そして翌1883年旧暦1月27日(3月6日)、八道四都に通知され、太極旗が正式に国旗として使われるようになった。