世界史の中の韓国

2014年08月15日 12:01

アジア大陸の一番端に席を占めた韓半島は19世紀まで世界史にほとんど登場さえしなかった隠遁の国であった。当時は朝鮮にとっては中国と日本が世界の全てのようであったからだ。1853年にフェリー提督が黒船4隻を引き連れてやって来て日本を開国させ、1860年に英国が清国と阿片戦争を行い、アジアは歴史の荒波に巻きこまれる。だが、世の中の変化を体感できない朝鮮は結局、日本の植民地に転落して暗鬱に20世紀を迎えた。忘れられた国、崩壊した国は解放を迎えたが、1948年に大韓民国と朝鮮人民共和国に分断され、その後肯定的にも否定的にも世界史に大きい影響を及ぼし始めた。 何よりも50年に勃発した朝鮮戦争は世界政治の地図を大きく変えた。まず日本が自衛隊として再武装し、四分五裂していた右派政党らが55年に自由民主党として集結して37年以上の長期に渡り執権した。敗戦国であるドイツも55年に連邦防衛軍(Bundeswehr)で再武装した。米国はちょうど吹き始めた反共マッカーシー旋風に朝鮮戦争が油を注ぎ、共産主義者などを粛清して徹底した反共国家になった。しかし、大韓民国が現代史を大きく変えたのはまさに88年のソウルオリンピックだ。東欧圏崩壊の直接的な口実になったためだ。これは当事者である過去の東欧圏の人々がたびたびする話なのだが、当の韓国人ばかり知らずにいる。彼らは共産党の宣伝により韓国が乞食の群れがうじゃうじゃいる国、悲惨で貧しい国だと思っていた。しかしソウルオリンピックがテレビで中継され、驚くべきほど発達した豊かな大韓民国に大きな衝撃を受け、はじめて共産党の宣伝にだまされていたことを知ったというのだ。ソウルオリンピックが不平・不満に膨らみきった東欧圏という風船を破裂させた針だったという話だ。ソウルオリンピックが開かれてから1年後、東欧圏が崩壊し始めたのは決して偶然でない。今回、光復節を機に訪韓したフランシスコ法王のお陰で韓国の位相が高まるかもしれない。