三国時代は任那時代なのか?

2015年04月09日 20:00

日本の文化庁は三国時代に朝鮮半島で出土した「金銀装環頭大刀柄」「金銅翼状冠飾(금동 날개 장식)」など韓国の文化財を「任那時代(임나시대)」に出土したと歪曲して説明していることが確認された。文化庁ホームページ(문화청 홈페이지)で三国時代(삼국시대)の朝鮮半島から渡ってきて、日本が所蔵している計23点の遺物のうち8点を「任那時代」と表示した。三国時代(삼국시대)・昌寧(チャンニョン:창녕)などの時代表記と地名は見られない。東京国立博物館(도쿄국립박물관)では「金銀装環頭大刀柄」の出土地域を「韓国昌寧(창녕)出土」と表記しているのとは対照的である。「任那日本府説(임나일본부설)」は、日本が4世紀後半に朝鮮半島南部に進出し、加耶(가야:任那:임나)に日本府(일본부)という機関を置いて6世紀まで百済(백제)・新羅(신라)・加耶(가야)を支配したという主張だ。植民統治を正当化するための植民史観とも取られ、歴史的な根拠は弱く、現在、日本国内の学界でもほとんど受け入れられていないが、6日に検定を通過したほとんどの中学校の歴史教科書には「任那(임나)」という表現が再び使われた。

bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/198106

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