浅川巧の追悼式

2016年04月06日 23:06

日本による植民地時代に朝鮮半島の緑化に尽力し、この地に葬られた日本人、浅川巧(아사카와 타쿠미)の追悼式が5日、ソウルの公共墓地、忘憂里公園墓地(망우리공원묘지)で行われた。式には浅川の出身地である山梨県北杜市から大芝正和副市長も出席した。浅川は朝鮮民芸と陶芸の研究・評論家で、兄は朝鮮陶磁器研究家の浅川伯教(아사카와 노리타카)。1914年に家族と共に朝鮮に渡った後、朝鮮総督府(조선총독부)の林業試験所職員임업시험소 직원として造林に取り組み朝鮮半島の緑化に貢献した。ハングルを学び朝鮮の衣服を身につけて生活し、朝鮮人を助けたことでも知られる。伯教と共に白磁をはじめとする陶磁器や家具を収集し「朝鮮民族美術館(조선민족미술관)」を設立。その所蔵品は後に、国立中央博物館(국립중앙박물관)に移された。1931年に急性肺炎のため40歳の若さで亡くなると、多くの朝鮮人に見送られ、希望通り朝鮮に埋葬された。2012年には功績をたたえる映画「道~白磁の人(~백자의 사람: 조선의 흙이 되다)」が公開された。